めそめそ妊婦ブログ

毎日メソメソしている妊婦の備忘録です

妊娠と仕事の両立

 

こんばんは。

めそです。

妊娠と仕事の両立についての壁にぶち当たったので、それについて書いていこうと思います。前回の終わりに書いていた事件についても書いていきます。

 

【フェーズ1:食べづわり】

妊娠発覚前からつわりで仕事にならず、早退をすることがあったし、妊娠11週くらいまでは食べづわりで、午前午後と2回ずつ小さなおにぎりを食べたりしてなんとかやり過ごしていた。吐くことはそこまでなかった。

もちろん体調が悪すぎる時は今まで活用できなかった有給をバンバン使っていたため、週に3日くらいの出勤ペースとなってしまっていた。

しかし、周囲に迷惑をかけないようになんとか仕事をこなしていた。

 

食べづわりは、お腹が空くと強烈な吐き気に見舞われ、ずっと船酔いのような感覚になるものだった。

食べると楽になるが、食べたいものもあまりなく、空腹を満たすために無理やり食べることが苦痛だった。夜中に空腹で目が覚め、枕元に置いてあるパンをかじって乗り越えるという生活を送っていた。

肉や野菜が食べられなくなり、炭水化物と果物でなんとか乗り切っていた。

あと、本当にマックのポテトは神なんだなと思い知った。というか、つわり中にマックやモスのものは一度も吐かなかった。ジャンクフードの神さ加減よ…。

 

また、すぐに息が切れ、とても息苦しかった。職場では必ずマスク装着の義務があったため、隣の人に聴こえてしまうほど、ゼーハーと苦しい呼吸をしながら仕事をしていた。酸欠みたいな感じで、気分が悪くなることもあった。

せめて家で、ノーマスクで仕事をしたいと思ったが、職務内容的に在宅勤務はおそらく無理だったので、我慢して出社していた。

 

そんなこんなで妊娠12週、妊娠3ヶ月も後半になったある日…。

 

【同僚コロナ疑い】

 

妊娠12週には、つわりもなんだか軽くなり、そろそろ終わるのかな?と嬉しい気持ちになっていた。この時確か11月の頭だったかな。

 

月曜日に出社すると、ペアの同僚がいない。

課長がその同僚と電話しているようだ。

私のもとに優しい先輩が駆け寄ってきて、ペアの同僚がどうやら40度近い高熱を出し、インフルエンザは陰性で、現在PCR検査の結果待ちだという。

 

サーっと血の気が引いた。

 

隣の席だし、もし陽性なら濃厚接触者だよね?

と、怖くて怖くて仕方がなかった。

妊婦はコロナウイルスにかかっても重症化しないとは聞いていたが、妊婦の症例は少ないし、抵抗力も弱っているし、肺炎にかかっただけでも胎児に十分な酸素がいかなくなるため、良くないというのをネット記事で見ていた。

 

でも、その同僚の仕事を止めるわけにもいかず、朝から自分の仕事と同僚の仕事をなんとかこなしていた。

途中めまいがしてしまい、倒れる寸前で座り込んだりした。上司には休憩所で休んできたらと言われたが、仕事にとてもそんな余裕はなかった。

別の先輩が、感染が怖いだろうし帰ったら?と言ってくれたが、いま私が帰ったらこの仕事どうするの?と思うと帰れなかった。上司からは、帰ったら?とか、そう言った話はなかった。

 

きつい1日を終える夕方頃、その同僚から連絡があり、コロナは陰性だったそうだ。

 

安堵はしたものの、すぐに体調が戻るはずもなく、その同僚が復帰するまではフルスロットルで仕事をした。残業もした。

その同僚から引き継ぎされていることが少なく、分からないことが多かったが、ペアの仕事のため、全て私に回ってきた。

このような事態が怖かったため、以前ペアの同僚の仕事を教えてほしい旨を話したが、自分がやるんでと一言言われてからは諦めていた。

 

もっとちゃんとお願いしておけばよかった。

しっぺ返しだ。

 

とにかく他部署にいる前任者などに助けを求め、なんとかかんとか仕事を回した。

 

自分もつわりで休むことが増えていて、その同僚に迷惑をかけていたから、当然の報いだったのかもしれない。ここで助け合わなければ、と、頑張った。

 

帰り道は、不安と疲労で自然に涙が出てきて、泣きながら帰った。

 

同じ職場の人は、上司をはじめ、誰一人助けてはくれなかった。

私とペアの同僚しか知らない仕事だから、当たり前なのだろうか。でも、私も妊婦で体調の良し悪しがある中、もし共倒れになっていたら…その時のリスクを誰も考えてはいなかったのかと、縦割りな仕事に憤りを感じた。

 

そして、その週の終わりにはその同僚がついに出社し、仕事をこなしていた。

この仕事をここまでやりましたと報告した。

感謝の言葉は特になかった。

 

私がつわりで休んだ時には、すみません、ありがとうございますとその同僚に伝えていたため、べつに見返りを求めてやったわけじゃないけれど、もやもやとした気持ちになった。

 

その週頑張りすぎたのか、午後から体調が悪くなった。

その同僚から、午後この仕事を頼めますかと言われたが、限界だったため断り、早退した。

その仕事は、車を使う仕事だったが、もはや自分の運転で酔ってしまう状態だったのだ。

 

この頃からコロナウイルスが非常に怖くなったし、仕事に対しての気持ちもどんどんなくなり、マタニティハイは終わりを告げ、妊娠前のようなメンタルに戻っていった気がする。

 

このコロナ禍に妊婦×仕事の相性は非常に悪い。ただでさえきちんと妊娠継続できるか不安な最中、コロナ感染にも怯える日々。

酷くなってもコロナに対抗する薬は飲めない。もし罹ったら、誰が責任を取ってくれる?

誰もいないよな。

自分で自分とこの子を守るしかないんだよな。

 

仕事内容には窓口対応や、PCR検査に携わるような医療従事者の方との接触もあったため、(医療従事者の方には感謝しておりますが、その方はマスクを外したりして怖い)丁度感染者が徐々に増えていた時期でもあり、ガリガリとメンタルが削られていく音が聞こえた。妊娠と仕事の両立は難しいと思った。

 

次の記事には、妊娠13週以降、つわりフェーズ2について書いていきたいと思います。

 

読んでいただき、ありがとうございます。

 

次回に続きます。

 

 

妊娠発覚

 

こんにちは。

めそです。

今回は妊娠発覚した時のことを書いていきたいと思います。

 

何を食べても気持ち悪い。生理に伴う吐き気がこんなに酷いだろうか?酔い止めも効かない。ストレスだろうかと思っていたが、どこかおかしかった。

胸騒ぎがした。

排卵していないと言われていたし、生理も来たし、妊娠するわけないと思っていたが、念のためと思い、ドラッグストアで妊娠検査薬を購入。

レディースクリニックに行く当日の朝に検査薬を試した。

 

すると…

 

うそでしょ…?

 

そこには陽性の線があった。

 

嘘だ????と思い、レディースクリニックで先生にこの旨を話した。

 

先生も、そんなわけない!とかなり驚いていた。

 

半信半疑でエコーした結果、胎嚢と、ちいさなちいさな赤ちゃんが確認できた。

 

妊娠していた。

 

どうしようもない吐き気はつわりだった。

 

おめでとうございます。妊娠5週です。と。

 

どうやら9月中旬に打っていた注射には、生理を起こす以外に、流産を防ぐ効果があったらしい。不幸中の幸い?

 

9月の心当たりは、何と1度だけ。

 

いろんな奇跡が重なったのだと思った。

弱音も吐かず、まともに休みも取らず、淡々と仕事をこなしていた自分へ、神様からのご褒美だと思った。

 

じゃあこの出血はなんだ?と不安になったが、切迫流産気味だが、もう出血も止まりかけているので、激しく動かなければ大丈夫と言われた。安心した。

 

初めてのエコー写真を貰い、帰り道はアカチャンホンポに寄ったりして、浮かれていた。

吐き気でご飯が食べられず、でもお腹が空いていたので、ショッピングモールのフードコートで大根とウィンナーだけのおでんを食べたのを鮮明に覚えている。ウィンナーは残した。

 

家に帰り、夫へエコー写真を見せた。

これ、なんだと思う?と、小さな小さな赤ちゃんを指差して聞いてみた。

「え?子供?」

と、半笑いで冗談めかした顔の夫がそう言った。

 

その通り!子供ができたよ!妊娠2ヶ月の、5週だって!

 

と伝えたところ、え?!と、驚きの声と表情。

やったー!とか、嬉しいー!とかじゃなくて、ただただ呆然とする旦那。

 

それも仕方がない。たった数時間前まで、子供ができないかも〜と妻は泣いていたのだ。

そんなわけないと思うのが普通である。

 

仕方ないが、若干寂しい気もした。喜んで欲しかったなと。後から聞いた話だが、子供欲しいね!作ろうね!できたら嬉しいね!という段階の気持ちに、夫は達していなかったと。そのフェーズだったらめちゃくちゃに喜んだが、その時は排卵もしていないと聞いていたので、まさかまさかの展開で、ただただ驚きだったとのこと。そうだよね。理解できる。

 

私だってそうだ。私が1番驚いていたのだもの。

 

つわりがすでにつらく、食べられるものも限られていたが、それ以上にハッピーで、死にたい、消えたいと思っていた心がピカーっと明るく照らされた心地だった。

 

もう何も怖いものなんてない。

この子がいてくれれば、私、無敵。最強。猛烈ハッピー。

と、頭お花畑だった。

これがマタニティハイ?

そういうホルモンてあるのかな。

よくわからないけれど、不思議なメンタルだった。

 

早速職場の上司に伝えた。

上司は喜んでくれたし、労ってくれた。

他の課員には心拍確認できてから伝えることになった。

妊娠発覚から1週間後には、心拍も無事確認でき、職場の一人一人に伝えて回った。みんなおめでとうという言葉をかけてくれ、ありがたかった。

 

異動して半年しか経っていないことが申し訳なかったが、三十路を目前にして、いいタイミングだったのだと、自分に言い聞かせた。

 

ペアの同僚には、話しかけるのが怖くて課員の中で最後の最後になってしまった。

これを伝えたら優しくなるかな?と淡い期待も込めて、なんとか伝えたが、私の考えは甘かった。おめでとうと声をかけてくれたが、口調の荒さ、態度の大きさは変わらず、些細なことで机をバンバン叩かれながら怒りをぶつけられたりした。

つわりでつらい私をよそに、電話にも出ず、私ばかり受けていた。

 

人事に確認したところ、4月から産休に入れるとのことだったので、あと数ヶ月耐えればこの職場とも、この同僚ともおさらばだ!と思うと、以前より頑張れる気がした。

束の間の心の平安が訪れた気がした。

妊婦だということに甘えていた部分があったかもしれないが、自分を責めて勝手に追い込んでしまう性の私には、それくらいが丁度いいと思うことにした。

 

しかし、ある事件?が起き、妊娠中のキラキラ前向きメンタルが崩れ去っていった。

 

 

読んでいただき、ありがとうございます。

 

次に続きます。

 

 

 

妊娠前のこと③

こんにちは。

めそです。

旦那が本日から仕事始めで1人で少し寂しいです。

出会って6年半。結婚して1年半。

年末年始を共にできたのは出会ってから初めてだったので、とても嬉しかったです。

さて、今回も妊娠までを振り返って参ります。

 

【2020年秋】

 

待ちに待った産業医の先生との面談の日。

個室には人事課の係長と保健師さんと産業医の先生の3名がいた。

 

そこでこれまでの経緯を話したところ、保健師さんは親身になって聞いてくれた。人事の方は、絶対にそのペアの同僚が原因だから、今のあなたの課の上司に配置換えを相談してみては?と提案された。

 

肝心の産業医の先生は、特になんの声かけもしてくれず、最後に人事から先生何かありませんか?と指名された際に、つらければ心療内科を受診しては?と言われて終わった。

正直期待外れで、心が軽くなるどころかもやもやとしてしまった。

 

人事の方からの提案についても、自分の上司には相談しにくいものだった。

今の仕事がわかるのは、自分とそのペアの同僚2人だけで、自分が配置換えとなったら、せっかく必死に覚えた仕事がまた1からやり直しになる負担がある。ペアの同僚が配置換えになれば、異動してまだ半年ぽっちの自分には分からないことが多すぎて荷が重すぎる。

どちらにしても地獄だと思った。

もう辞めるしかないと思った。

 

自分を心配してくれる先輩が1人いたが、その方もストレス性の蕁麻疹で1週間休んだりしていて、負担だろうなと深く相談できなかった。上司に相談すること!と人事に言われていたが、話しづらくて、なかなかその時間が取れずにいた。

私は孤独を感じていた。

 

9月の中頃に生理が遅れていることが気になり、妊娠検査薬を使用した。しかし、妊娠はしていなかった。完全に生理が止まったと思って泣いた。

再びレディースクリニックに行くことを決意した。

クリニックで内診してもらった結果、子宮内膜の厚みがあまりなく、自然に生理が来るのは難しそうなので、注射で生理を起こしましょうということになった。

初めてお尻に筋肉注射を打った。

排卵もしていないので、生理が来たら排卵を起こす薬も渡しておきますと言われ、処方された。

注射後、通常10日くらいで生理が来るとのことだったが、その日を過ぎても来ず、不安に苛まれ、毎日泣いていた。

 

面談から4日後、注射からちょうど3週間後くらいから、やっと出血。プラスひどい吐き気が襲ってきた。今まで無かったが、生理に伴う吐き気だと思っていた。本当に酷い吐き気で会社を早退したり、酔い止めを飲んだりしてなんとか耐えていた。

 

生理が始まって2日後にはかなり出血量が減っていた。調べてみるとあまりよろしくない状態らしく、また泣いた。見兼ねた旦那に、病院に行きなと言われ、再びレディースクリニックへ行くことにした。

 

 

ここまで読んでいただいてありがとうございます。

次の記事に続きます。

 

 

妊娠前のこと②

おはようございます。

めそです。

お正月も終わり、仕事始めの方も多いのかな。

自分も本当は今日から職場復帰(妊娠悪阻で1/11まで休職中)の予定だったけど、体調的にもメンタル的にも絶対に無理だったので、産婦人科の先生の判断は非常に正しかったなと思う。

先生ありがとうございます。

 

さて、妊娠前のことについて、またまとめていこうかと思います。

 

【2020年夏】

 

異動から少し経ち、段々と仕事のやり方のメモがたまっていった。職場でそれを綺麗にまとめる作業がしたかったが、そうすると残業せざるを得ず、そんな業務内容で残業はさせてもらえないだろうという気持ちと、一刻も早くこの職場から逃げ帰りたいという気持ちから、メモや勉強用の書籍などを大量に持ち帰り、家で少し整理しようとしていた。

 

しかし、家に帰ってから職場のものに触れることが嫌で仕方なく、大量のメモをまとめることはほとんどなかった。重い荷物を焦燥感から毎日持ち帰り、今日こそは勉強すると意気込みつつ、家に帰ると意気消沈し何もしないという無意味な日々が続いた。

 

5月末頃から順調に来ていた生理が10日間続き、その後1週間空けて、2週間出血なのか生理なのかが続いた。

その頃私は子供が欲しくて、何か子宮などに異常があるのでは?と不安に駆られてレディースクリニックで子宮頸癌と体癌の検査を受けた。生理不順であることを伝えたら、卵巣なども確認してもらえたが、全て特に異常なしとのこと。精神的なストレスによるホルモンバランスの乱れかもしれないと医師に診断された。

 

7月頃には生理が1週間おきに来ていた。4月くらいから妊活を行っていたが、この頃にはいつ排卵しているのかも分からず、授かれるかの不安が徐々に溜まっていった。

 

8月の頭に1週間出血が続いてからは、10月頭まで今度は生理が来なくなってしまった。

仕事のストレス→身体の異常→子供が授かれない→ストレス

と、二重のストレスに見舞われていた。

この頃はよく泣いており、過呼吸になることもしばしばで、旦那にも度々迷惑をかけていた。仕事を辞めたいと毎日思っていたし、死にたい消えたいと思っていた。

 

仕事に行く前は吐き気が止まらず、下痢も止まらず、8月頃には仕事中にかなり強い吐き気に見舞われたことから、胃腸科で胃カメラを飲んだが異常はなし。ピロリ菌もいない。ストレス性の胃腸炎だろうということで強めの薬を処方された。

 

その頃のTwitterを見ると、胃が痛くて寝付けないとか、早く楽になりたいとか、人生に希望が見出せなくてつらくて仕方ないとか、そんなんばっかりだった。

正常な気持ちを保っていられなかったのか、お酒に頼ることも増えており、会社から帰ったら1人でお酒を飲んでいる日が見受けられた。

別に好きじゃないお酒で無理やりテンションをあげたり、早く寝られるようにしていた。

 

コロナの影響で、大好きだった音楽フェスやライブも無くなってしまい、楽しいことやストレス発散できる場がなくなり、寝ている以外何もしたくなくなった。

 

会社では毎年初夏にストレスチェックを行なっており、入社後初めて産業医と要面談となってしまった。

8月にはその結果が出ていたが、9月になっても面談は行われず、きついメンタルを解放して欲しくて人事に泣きついたら10月頭にちょうど空きができたとのことでその日に予定を組んでもらった。

 

振り返ると夏の病み方半端なかったなと思います。思い出すのもつらいな…。

 

読んでいただいてありがとうございました。

 

その③につづきます。

 

 

 

 

 

妊娠前のこと①

 

初めまして。

「めそ」と申します。

現在妊娠5ヶ月後半の妊婦です。

 

コロナ流行真っ只中に妊娠し、嬉しい反面不安も多く、少しでも自分の心を整理したり、つらいことを吐き出したりするためにこのブログを開設しました。

 

自身は心がとても弱く、妊娠中のメンタルや出産、子育てに不安があります。

少しでもそういう気持ちを楽にできたらなと思います。

 

まずは妊娠するまでの2020年を振り返っていきたいと思います。

 

【2020年春】

2019年秋に予定していた結婚式がのっぴきならない事情で延期となり、結構病んでいた。が、なんとか立ち直り、春に延期日を設けていた。

しかし、緊急事態宣言により式場が休業を余儀なくされたため、結婚式が2度目の延期となる。つらくて沢山泣いた。

 

また、それまで5年近く所属していた、なんとかギリギリ心身を健康に保っていられる部署から、忙しく人間関係も関わりが5倍くらい多い部署へと異動となった。

 

私は新しい環境がとても苦手で、新卒で入った会社も心身症と診断され半年で退職していたので、不安で仕方なかった。

 

異動してからは新しいことを覚えることと人間関係の構築に必死で、業務量も増えて毎日残業していたためなのか、蕁麻疹が2ヶ月ほどおさまらず、痒くてなかなか眠れない日があった。

 

また、業務を共に進めるペアの同僚と合わず、その同僚に怒られたり注意されたり話しかけられるのが段々と怖くなってしまった。その同僚は、無意識なのか分からないが、業務中に舌打ちをしたり、床や机を手や脚でバンバン叩いたりする人だった。お客さんの文句を言ったり、電話を切る仕草も乱暴で、隣の席に座っている私はその一挙手一投足に怯え、参ってしまっていた。

 

なんとか歩み寄ろうと2人きりの時に雑談をしたり、お昼を一緒に摂ったりしてみたが、それでもなかなか距離が縮まらず。

 

自分から話しかける時には、忙しくなさそうな時や、機嫌が良さそうな時などタイミングを見計らい、意を決して話しかけた時には手汗はベタベタ、心臓はバクバクで時間も経ってしまい、相談するのが遅い!とかえって怒られる始末。

 

仕事を徐々に覚えてきて、残業が減ってきて、仕事の負担に関しては軽くなってきても、その同僚に精神的に振り回されてしまう日々でキツかった。

 

家に帰っては毎日泣いており、仕事から帰ったらご飯も作れずベッドで横になることが多くなった。家事が手につかず、特にもともとは好きだった掃除や片付けが出来なくなり、部屋がどんどん荒れていってしまった。

 

こんな感じで、スタートからつらいな、これは長くは持たなさそうだな…と思う日々を過ごしていました。

 

読んでいただきありがとうございます。

 

②に続きます。